落書きと社会
現代ではストリートアートやタギングなどのような、美術様式化したものや行為自体が何等かのファッションスタイル化した物がある一方、便所の落書きに代表される雑多な物も見られる。ただ公共施設や他人の家屋・店舗などに勝手にこれらを書き入れる行為は、器物損壊の範疇で扱われるため、決して褒められた行為ではなく、特に第三者を不快にさせる乱雑な物は、落書きという様式の暴力であると見なされる場合もある。特に他人を誹謗・中傷する意図で攻撃的な文言を書き残した場合は、脅迫の範疇によって扱われる。和歌山毒物カレー事件では、容疑者として逮捕された夫婦宅が不特定多数によって落書きされ汚損されたが、これも立派な犯罪行為といえよう。その一方で近年ではインターネットの普及によって、電子掲示板や個人・団体のウェブサイト上にも、様々な落書きがみられる。これらは他人を不快にさせない範疇に於いてはさほど問題視されないが、内容によっては荒らしの誹りを受けたり、特定個人・団体に対する中傷と受け取られる場合もある。意図してそのようなモノを公開するのは論外と言えるが、他方では意図せずそうなってしまうケースもあるため、注意が必要であると共に、ネチケットなどによって・または掲示板管理者などにより、一定のガイドラインが示されている場合も見られる。
便所の落書き
学校を含む公共の場としての便所には、落書きが書かれている場合が多い。そこには愚にもつかない駄文から、個人情報とおぼしき文字列までさまざまな情報が書かれているが、稀に秀逸なジョークや、非常に興味深い警句もみられる。馬上、枕上、厠上の3つを文章を練りやすい場所という意味で「三上」というように、便所を使用している最中は、様々な思索が交錯しやすい。それの発露が便所の落書きといえる。多種多様な人間の利用する駅や高速道路サービスエリアの公衆便所では、多様な落書きが見出される。特に日本では1990年代以降、携帯電話番号の落書きが増える傾向が顕著だが、これは本人の番号ではなく、他人の番号を書き散らして個人攻撃を実現する目的と推測される。公園に併設された衛生状態の芳しくない公衆便所では、暴走族の叫びにも似た自己主張的なマーキング、同性愛者向けの交流に向けたメッセージも見られる。いずれにしても、第三者にとっては無価値な情報であるものが多く、有益な情報が残されている事は稀である。またそれら雑情報に埋もれる格好で、他の情報までその価値を失うという現象も見られる。ノイズまたは情報の散逸の項を参照。;転用 : 「価値のない情報が氾濫する場」という意味で、電子掲示板に書かれる内容を、「便所の落書き」と揶揄することがある。由来としては、新世紀エヴァンゲリオンの庵野秀明監督が、インターネット上のチャット通信について「便所の落書き」と批判したことにある
[1996年〜97年頃の発言。スキゾ・エヴァンゲリオン、パラノ・エヴァンゲリオンなどを参照。]。また東芝クレーマー事件において筑紫哲也が自身の番組中、インターネット上の情報を、「かなり恣意的で、トイレの落書きに近い」と評した[http://web.archive.org/web/19991231095412/http://www.tbs.co.jp/news23/taji/s90715.html]。
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ある程度自発性が育ってきた幼児は、その程度にも個人差があるが、文房具|筆記具と紙さえ与えておけば落書き(もう少し丁寧に「お絵かき」と呼ぶ場合もある)に熱中する傾向がみられる。ことによると興にのって壁や床などにまで落書きしてしまうことも珍しいことではない。これら幼児の落書きは、幼児自身の成長|発育過程を把握する上で、興味深い資料となる。初期の段階では、専ら「何...